本文へスキップ

広島少年合唱隊記録保管班

演奏・交流活動

広島市平和記念式典(8月6日)での合唱

広島市の平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)は、「原爆死没者の霊を慰めるとともに、世界恒久平和の実現を祈念することを目的」として、原爆が投下された8月6日午前8時15分に合わせて毎年開催されています。式典は平和を願う歌「ひろしま平和の歌」の合唱で締めくくられますが、広島少年合唱隊は創立3年目の1962年から今日に至るまで合唱参加させていただいており、隊員・OBの共通体験になっています。

1966年
(6期OB清水様提供)
1969年

1995年

1996年

1996年
2005年
2005年
2015年

平和記念式典は、占領統治下の1947年8月6日に、広島発の平和への願いを込めて開催された「平和祭」に始まります。「ひろしま平和の歌」は、この時に一般公募され選ばれた重園贇雄氏の歌詞に山本秀氏が曲をつけて完成し、平和祭で歌われました。平和祭は1950年には連合国総司令部の命令で中止となりましたが、翌1951年、平和記念式典として再開され「ひろしま平和の歌」も歌い継がれています。平和記念式典の合唱はさまざまな団体によって行われてきましたが、1962〜1966年は広島少年合唱隊が歌わせていただいています。その後は、複数の団体による混成となり今日に至っています。
参考資料
1) 広島市HP www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/
2) 広島平和記念資料館HP hpmmuseum.jp (6-3-1-1)
3) ヒロシマ遺文HP hiroshima-ibun.com/2021/09/28/

ジュノー博士記念祭での合唱(6月)

マルセル・ジュノー博士(スイス人)は、赤十字国際委員会代表として連合軍捕虜援助の目的で1945年8月に来日しました。原爆被爆の惨状を知ると、連合国総司令部へ医薬品などの支援を要請し、降伏文書調印から間もない1945年9月8日に医薬品など15トンを持って広島に入り被爆者の救護に尽力しました。博士は帰国後、原爆についての『広島の残虐』を著し、核兵器の禁止の向けた活動に関わりました。その業績へ感謝し、博士の平和への想いを伝えるため、博士の命日の6月16日前後に記念祭が開催されています。1990年に広島県医師会と日本赤十字社広島県支部に共催で始まり、2006年以降はジュノー顕彰事業実行委員会により開催されています。広島少年合唱隊は、1996年以降今日までこの記念祭に参加させていただいて、平和への想いを共有させていただいています。

1996年
2004年
2004年
2015年

参考資料
1) 広島県医師会HP https://www.hiroshima.med.or.jp/ishi/junod/
2) 日本赤十字社HP www.jrc.or.jp/international/news/180809_005375.html
3) ヒロシマ遺文HP hiroshima-ibun.com/2018/09/09/


広島少年合唱隊記録保管班

アーカイブズ事務局

 082-541-0588 (西澤)  noranora3105@yahoo.co.jp

広島少年合唱隊 ホームページへ